NisshaによるUSM Healthcare株式60%取得の概要
2026年1月23日、NISSHA株式会社(以下、Nissha)は、ベトナムの医療機器メーカーUSM HEALTHCARE MEDICAL DEVICES FACTORY JOINT STOCK COMPANY(以下、USM Healthcare)の株式60%を取得し、子会社化する方針を公表した。スケジュール変更を経て、同年5月20日に株式取得を完了している。Nisshaは医療機器を重点市場の一つと位置づけており、USM Healthcareの子会社化を、東南アジアにおける医療機器事業の基盤拡大につなげる方針を示していた。
USM Healthcareは2012年10月設立で、ホーチミン市のサイゴン・ハイテクパークに拠点を置く。Nisshaの公表資料によれば、循環器科向けステントや整形外科向け機器などを製造・販売し、製品設計・開発から承認、製造、販売までを一貫して手掛けるほか、医療機器メーカー向けのCDMO(開発製造受託)事業も展開している。2025年12月期の売上高は416,587百万VNDと公表されている。
Nisshaが当初期待したのは、USM Healthcareの既存事業の強化に加え、東南アジアでの医療機器CDMO事業の拡大である。海外市場で製造拠点、許認可、製品、顧客基盤を一から構築するには時間がかかる。既に事業基盤を持つ企業への出資・買収は、市場参入を早める選択肢になり得る一方、買収前にその事業基盤の実態をどこまで確認できるかが重要になる。
2026年5月20日の買収完了後、NisshaがUSM Healthcare株式の59.99%、Nissha Vietnamが0.01%を保有し、Nisshaグループとして60%を保有する体制となった。公表資料によれば、株式取得対価は約58億円、アドバイザリー費用等は約2.45億円と見積もられている。USM Healthcareの2025年業績は、売上高416.6 Bil VND、税引後利益28 Bil VND超、総資産1,138 Bil VND超、自己資本約832 Bil VNDと記載されている。
買収時点では、Nisshaが掲げる東南アジアでの医療機器事業拡大と、USM Healthcareが持つ現地事業基盤には戦略上の接点があった。しかし、買収完了から約3カ月半後の2026年9月4日、Nisshaは保有株式の全てを譲渡する方針を公表した。
買収後に判明した会計上の問題と株式譲渡決定
2026年9月4日、Nisshaの取締役会は、同社グループが保有するUSM Healthcare株式60%を、同社取締役のVÕ XUÂN BỘI LÂM氏へ譲渡することを決議した。Nisshaの公表では、まず50%分を譲渡し、残る10%分は2027年9月中旬から2028年9月中旬までの期間に譲渡する予定とされた。その後、Nisshaは9月17日付で50%分の譲渡が完了したことを公表している。
Nisshaが株式譲渡の理由として挙げたのが、買収以前のUSM Healthcareで行われていたとする不適切な会計処理である。Nisshaによれば、USM Healthcareをグループの管理体制に組み込み、初回の連結財務諸表を作成する過程で、「循環取引(circular transactions)」を中心とする不適切な会計処理が判明した。循環取引では、資金や商品、売上などが複数の当事者間を循環するため、取引の実態によっては売上高や債権、キャッシュフローなどの会計数値が経済的実態を適切に表さない可能性がある。

ALT: NisshaによるUSM Healthcare株式譲渡|ベトナムM&Aのデューデリジェンスと循環取引リスク
Title: Nissha・USM Healthcare事例|ベトナムM&Aで確認したい循環取引リスク
Nisshaは、この問題が買収以前のUSM Healthcareの役職員によって行われたものであり、Nisshaは関与していないと説明している。また、外部専門家を含む調査体制を設け、事実関係の確認を進めている。買収時に想定していた効果の実現可能性と将来の企業価値への影響を検討した結果、Nisshaグループの企業価値を維持・向上させることは困難と判断し、株式譲渡を決定したとしている。
一方、USM Healthcareは2026年9月8日付のプレスリリースで、比較的短い協業期間の中で、経営管理、事業運営、長期的な成長方針などの重要事項について十分な合意に至らなかったと説明した。USM Healthcareによれば、創業株主側は経営・事業運営・長期戦略の主体性を取り戻すため、Nisshaが保有する株式の買い戻しを提案し、双方が合意したという。同リリースでは、Nisshaが公表した循環取引に関する説明そのものには言及していない。

ALT text: USM HealthcareによるNissha保有株式の買い戻しに関する公式発表|ベトナムM&A事例
Title: USM Healthcare・Nissha事例|創業株主側による株式買い戻しとベトナムM&A
NisshaとUSM Healthcareの公表内容は、株式譲渡に至った経緯の説明に重点の違いがある。ただし、2026年5月20日の買収完了から9月4日の全株式譲渡決定まで約3カ月半だったことは確認できる。この事例から考えるべきなのは、個別案件の成否を外部から断定することではない。ベトナムM&Aにおいて、クロージング前のデューデリジェンス(DD)をどのように設計し、財務諸表だけでは把握しにくい取引実態やガバナンス上のリスクをどこまで検証するか、という実務上の論点である。
ベトナムM&Aで見落としやすい4つの論点
Nissha・USM Healthcareの事例だけを根拠に、ベトナム企業全体の会計やガバナンスを一般化することはできない。一方、海外M&Aでは、買い手と対象会社の間に情報量や商慣習、会計実務、法制度の違いがあるため、公開情報や監査済み財務諸表だけでは判断しにくい論点が残ることがある。ベトナムM&Aを検討する際には、案件ごとのリスクに応じて次の点を確認したい。
以下は、特定企業に問題があることを示すものではなく、海外M&AのDDで一般に確認対象となる代表的な論点である。
財務諸表と実際の取引記録を突き合わせる
監査済み財務諸表は重要な出発点だが、M&AのDDでは、財務諸表の数値がどの取引から生じているかまで確認する必要がある。案件によっては、株主・経営陣の関連会社や関係者との取引が複雑になっていることもある。年次監査と、異常取引、未開示の関連当事者取引、帳簿外の取り決めなどを調べるフォレンジック型の調査では、目的も検証方法も異なる。
循環取引は複数資料の突合で確認する
売上、売掛金、資金が関係者間を循環する取引では、財務諸表上の数値だけを見ても実態を把握しにくい場合がある。財務比率や経営陣へのヒアリングに加え、請求書、契約書、銀行取引、税務資料、関連当事者の資本関係などを突き合わせ、取引の相手方、資金の流れ、経済合理性を確認することが重要になる。
買い手と現地売り手の情報格差を埋める
海外M&Aでは、買い手が現地の言語、法制度、会計実務、取引慣行を十分に把握できないことがある。対象会社の過去の紛争、株主間の実質的な関係、キーパーソンへの依存度、社内の運営実態など、正式な開示資料だけでは判断しにくい事項については、現地ヒアリングや外部情報との照合が有効である。
交渉スピードとDDの深度を両立させる
対象会社が希少な技術、許認可、顧客基盤などを持つ場合、取引を早く進める必要が生じることもある。ただし、スケジュールを優先してDDの範囲を狭めれば、会計処理、契約、許認可、ガバナンスなどの論点を十分に検証できない可能性がある。限られた期間では、案件の目的とリスクに応じて確認事項に優先順位を付けることが必要だ。
重要なのは、異常や不正の存在を前提に調査することではなく、買収価格や事業計画の前提となる情報を複数の角度から検証することである。売り手から受領した資料、第三者情報、現地ヒアリングなどを組み合わせ、情報の整合性を確認する。
ベトナムM&Aのデューデリジェンスで確認する4領域
デューデリジェンス(Due Diligence、DD)は、M&Aのクロージング前に対象会社の実態とリスクを検証し、投資判断や契約条件に反映するためのプロセスである。単にチェックリストを埋めるのではなく、買収目的や業界特性に応じて調査範囲と深度を設計する必要がある。
M&Aでは、財務、法務、商業、オペレーション・人事など複数の観点から対象会社を確認する。各領域で見るべきポイントは異なる。
財務デューデリジェンス(Financial Due Diligence:FDD)
FDDでは、利益の質(Quality of Earnings)を確認し、報告利益が本業から継続的に生み出されているか、一時的・例外的な取引や関連当事者取引に大きく依存していないかを分析する。加えて、キャッシュフロー、債権・債務、在庫、税務資料などを確認し、必要に応じて会計帳簿、原始証憑、銀行取引との整合性を検証する。
法務デューデリジェンス(Legal Due Diligence:LDD)
LDDでは、法人の適法な設立・存続、株主構成、投資・事業上の許認可、重要契約、紛争・訴訟、知的財産権などを確認する。医療機器のような規制業種では、製品登録、流通に必要な許認可、品質管理に関する認証など、買収後の事業継続に直結する事項も重要になる。
商業デューデリジェンス(Commercial Due Diligence:CDD)
CDDでは、市場規模や成長性だけでなく、対象会社の顧客構成、競争力、販売チャネル、価格設定、競合状況などを確認する。売り手が企業価値算定の前提として示す成長予測についても、その前提に合理性があるかを検証する。
オペレーショナル・人事デューデリジェンス
生産能力、設備稼働、品質管理、サプライチェーン、キーパーソンへの依存度、組織体制、労務上の義務、人件費などを確認する。買収後にどの機能を統合し、何を維持するかというPMIの設計にもつながる領域である。
Nissha・USM Healthcareの公表事実から直接、「買収前DDで何が不足していたか」を外部から断定することはできない。ただし、Nissha自身が買収後の連結財務諸表作成過程で問題を把握したと説明している点は、クロージング後の統合・モニタリングを含め、複数の情報源を突き合わせて取引実態を確認する重要性を考える材料になる。
ベトナムM&AのDDで確認したいレッドフラッグ
ベトナム企業に限らず、海外M&Aでは次のような兆候が見られた場合、追加確認の要否を検討したい。
- 期末に売上高や債権が大きく増加している。特定の顧客・仕入先への取引集中がある場合は、その相手方との関係も確認する。
- 売掛金・買掛金の回転期間が同業他社や過年度と比べて大きく変化している、または長期滞留残高がある。
- 株主構成や関連会社の関係が複雑で、初期資料だけでは関連当事者の全体像を把握しにくい。
- 取引承認、契約締結、資金管理などが特定のキーパーソンに集中し、牽制機能が弱い。
- 税務申告資料、法定帳簿、管理会計データなどの間に説明のつかない差異がある。
- 案件の規模や複雑性に比べて検討期間が短く、確認資料の提出や追加質問に十分な時間を確保できない。
これらは、それだけで不正や重大な問題を意味するものではない。重要なのは、兆候を見つけた段階で追加資料を求め、取引先や銀行取引、税務資料、契約書など別の情報と照合し、合理的な説明が得られるかを確認することである。
日本企業のベトナムM&Aで現地視点を組み込む理由
ベトナム企業の情報開示や社内管理資料の整備状況は、企業規模、上場・非上場、業種、経営体制などによって異なる。したがって、監査済み財務諸表を重要な出発点としつつ、案件に応じて法定資料、税務資料、契約、許認可、現地ヒアリングなどを組み合わせて確認することが重要になる。
また、経営陣や主要社員へのヒアリングでは、言語だけでなく、現地の商慣習や制度運用の理解が役立つ。質問への回答と書面資料を照合し、食い違いがある場合に追加確認できる体制を整えておくことが望ましい。海外M&Aの経験がある企業でも、ベトナム固有の法制度や実務については、必要に応じて現地専門家を活用する余地がある。
ONE-VALUEのベトナムM&A・デューデリジェンス支援
ONE-VALUEでは、ベトナムでの市場調査、パートナー探索、M&A支援の経験を踏まえ、案件の目的に応じた調査設計と現地情報の収集を支援している。DDを含む一連のプロセスは、ONE-VALUEがワンストップで対応する。実務上は社内の経理・法務担当者などと連携し、必要に応じて一部の業務を外部の専門家に委託することもあるが、お客様への対応とプロセス全体の管理はONE-VALUEが担う。
Pre-DD Scoping:目的に応じた調査範囲の設計
市場シェアの拡大、技術の獲得、販売網の取得、地域プラットフォームの構築など、買収目的によって優先すべき確認事項は変わる。案件の目的、対象会社の業種、取引規模などを整理し、DDの優先順位と調査範囲を設計する。
財務・会計面の確認
財務諸表、税務資料、銀行関連資料、商取引契約などを照合し、関連当事者取引、売上・債権の変動、複雑な取引構造など、企業価値評価に影響し得る論点を整理する。必要に応じて財務・税務の専門家と連携する。
法務・業界コンプライアンスの確認
医療機器、医薬品、食品、テクノロジーなど規制の影響が大きい業界では、事業上の許認可、製品登録・流通に必要な手続き、知的財産権、重要契約、紛争履歴などを確認する。法的判断が必要な事項は、弁護士など各分野の専門家と連携して検討する。
現地ヒアリング・実態確認
書面確認に加え、対象会社や関係者へのヒアリング、必要に応じた現地確認を組み合わせ、資料上の説明と実際の事業運営に大きな食い違いがないかを確認する。第三者へのヒアリングを行う場合は、守秘義務や取引への影響にも配慮する。
交渉・取引ストラクチャーへの反映
DDで把握した論点は、必要に応じて価格調整、表明保証(Representations & Warranties)、補償、エスクロー、クロージング条件、段階的な株式取得などの交渉事項へ反映する。具体的な契約条件は弁護士等の専門家と検討する。
M&A後のPMI支援
クロージング後は、経営管理、会計、組織、人事、業務プロセスなどの統合を進める。買収後に初めて見える課題もあるため、PMIの初期段階でモニタリング項目を設定し、必要な是正策につなげることが重要になる。
ONE-VALUEは、市場調査、参入戦略、M&A候補企業の探索、DDの調整・支援、交渉支援、PMIなど、日本企業のベトナム事業を各フェーズで支援している。
まとめ|ベトナムM&Aでは「見えている数字」の先を確認する
ベトナムM&AのDDでは、財務諸表の数値を確認するだけでなく、その数値を生み出した取引、契約、資金の流れ、許認可、事業運営の実態まで確認することが重要である。案件ごとにリスクは異なるため、財務、法務、税務、商業、オペレーション、人事などの観点から優先順位を付けて調査する必要がある。
Nissha・USM Healthcareの事例では、Nisshaが買収後の連結財務諸表作成過程で循環取引を中心とする不適切な会計処理を把握したと公表し、その後、保有株式の譲渡を決定した。一方、USM Healthcareは経営や長期方針をめぐる合意形成の不足を説明している。双方の公表内容を踏まえると、この事例は、買収前のDDだけでなく、買収後のPMIとモニタリングまで含めてM&Aリスクを管理する重要性を考える材料となる。
ベトナムM&A、デューデリジェンス、企業調査については、ONE-VALUEまでお気軽にご相談ください。
主な参考資料一次情報
- NISSHA株式会社「ベトナムの医療機器メーカーUSM HEALTHCARE MEDICAL DEVICES FACTORY JOINT STOCK COMPANYの株式取得(子会社化)完了に関するお知らせ」(2026年5月21日)
- NISSHA株式会社「連結子会社(特定子会社)の異動(株式譲渡)に関するお知らせ」(2026年9月4日)および「(開示事項の経過)連結子会社の異動(株式譲渡(一部))完了に関するお知らせ」(2026年9月17日)
- USM Healthcare「Cổ đông sáng lập chủ động mua lại cổ phần…」(2026年9月8日付プレスリリース)
