コクヨによるティエンロングループの子会社化
ベトナムのM&A市場において、2023年末から2024年初頭にかけて最も象徴的な動きとなったのが、日本の文房具大手コクヨによる「ティエンロングループ(TLG)」への出資比率引き上げである。コクヨは、ティエンロンの創業者一族および主要株主からの株式譲渡と公開買付けを通じて、最終的な出資比率を65.01%まで高め、同社を連結子会社化する計画を進めている。
ティエンロングループは、1981年に創業者のコー・ザー・トー氏が小さなペン製造所とし創業。以来、40年以上の歳月をかけてベトナム国内市場の60%以上のシェアを占める「文房具帝国」へと成長させた。現在、同社は世界75カ国以上に製品を輸出し、ベトナムを代表するナショナルブランドとしての地位を確立している。2024年度の計画では、純売上高4兆4,000億ドン(約260億円)、税引き後利益4,000億ドンという、過去最高水準の業績目標を掲げている。

出典: VNExpress
100年以上の歴史を誇るコクヨが、なぜ今、ティエンロンの支配権獲得に動いたのか。それは、ベトナムが単なる低コストの生産拠点から、急速に購買力を高める有望な消費市場へと変貌を遂げているからである。日本企業 ベトナム 進出において、ゼロから拠点を構築するのではなく、すでに市場を独占している既存プレーヤーを子会社化することは、時間を買う戦略として極めて合理的である。
ベトナム企業が「日本資本」を選択する深層理由
一般的に、急成長する新興国企業にとって、外資による子会社化は「ブランドの消滅」や「経営権の剥奪」といったネガティブな文脈で捉えられがちである。しかし、ティエンロンのトー会長は「コクヨに託すことは、ティエンロンのさらなる発展のための最良の選択である」と極めて前向きな姿勢を示している。

出典: VNExpress
なぜ、ベトナムのトップ経営者は日本企業を「理想のパートナー」と見なすのか。そこには日系投資家特有の3つの価値が存在する。
日本の経営哲学「永続経営」への共感
日本企業の経営哲学である「永続性」は、ベトナムのオーナー経営者からも強い共感を得やすい要素である。多くのベトナム企業では、創業者が「第一世代」として依然存在感を持ち、自社を家族のように大切にする傾向がある。コクヨのような100年企業が持つ、従業員や取引先を大切にしながら数世代にわたって事業を継続させる「永続経営」のスタイルは、短期的な利益回収を急ぐ欧米系ファンドにはない魅力であり、ベトナム企業とも親和性が高い。
「ブランド継承型買収」の安心感
日本企業によるベトナム企業買収の多くは、現地のブランド名を残したまま、その裏側の「OS(オペレーティングシステム)」をアップデートする手法をとる。ティエンロンというブランド名はベトナム国民にとっての信頼の証であり、これを残しつつコクヨの品質管理(QC)や研究開発(R&D)の知見を注入するアプローチは、創業以来のブランドの尊重と企業の質のさらなる向上を両立させることができるものである。
グローカリゼーションの加速装置
ティエンロンは、ベトナム国内では圧倒的だが、グローバル市場でのさらなる飛躍には、高度なガバナンスと物流ネットワークが不可欠であった。コクヨの子会社となることで、日本の洗練された経営手法と世界的な販売網を即座に活用できるようになる。これは、ベトナムのローカルな強みと日本のグローバルな強みを掛け合わせる「グローカリゼーション」の完成形と言える。
ベトナムM&Aの新潮流:2025年以降の戦略的展望
コクヨとティエンロンの案件は、今後のベトナム投資戦略における一つのモデルケースとなるであろう。これまでの日本企業の投資は、リスクを避けるための「少額出資(マイノリティ出資)」が主流であったが、今後は経営権を掌握する「戦略的提携」へと大きくシフトしていくことが予想される。
民間セクターの成熟と買収機会
ベトナム政府は、国有企業の民営化と同時に、民間経済セクターを経済成長の主動力として位置づけている。特に製造業や小売業において、次世代への事業承継やデジタル化への対応を迫られている有力な地場企業が増えており、ベトナムM&Aのチャンスは拡大の一途をたどっている。
サプライチェーンの再構築とベトナムの地位
米中対立や地政学リスクを背景とした「チャイナ・プラス・ワン」戦略において、ベトナムの重要性は増すばかりである。日本企業にとって、ベトナムの生産能力を自社のサプライチェーンに完全に組み込むためには、資本関係を強化し、意思決定のスピードを日本側と同期させる必要がある。
越日企業による資本と価値の連結
単なる資金供給ではなく、越日企業の資本提携の真の目的は、価値の創造にある。日本企業は「技術とガバナンス」を提供し、ベトナム企業は「市場理解と実行力」を提供する。この補完関係が、1億人のベトナム市場のみならず、6億人を超えるASEAN市場全体を攻略するための鍵となる。
成功への道筋:OEMから資本提携、そしてPMIへ
コクヨがティエンロンの子会社化に成功した背景には、拙速を避けた慎重なステップがある。これはベトナム M&Aの成功事例として、他の日系企業にとって参考になるプロセスである。
- 実務を通じた「お見合い」期間: 両社は資本関係を結ぶ前から、長年にわたりOEM(相手先ブランドによる生産)関係にあった。これにより、製造現場のレベルや経営陣の誠実さを実体験として理解することができた。
- 段階的な出資: 最初から100%を狙うのではなく、まずは少数株主としてボードメンバー(取締役)を送り込み、内部から経営課題を可視化した。
徹底したPMI(買収後の統合プロセス): 子会社化後、コクヨは自社のERP(企業資源計画)システムを導入し、財務報告のリアルタイム化を推進。同時に、ティエンロンの現場の強みを生かしつつ、日本流の”カイゼン活動”を導入することで、生産効率をさらに20〜30%向上させることを目指している。
直面する課題と日本企業への実践的提言
ベトナム市場は魅力に溢れているが、ベトナム企業買収には特有の難しさも存在する。弊社(ONE-VALUE)が数多くのプロジェクトを通じて直面してきた主な課題には、以下のようなものがある。
- 財務諸表の不透明性: ベトナムの会計基準(VAS)と国際基準(IFRS)の乖離や、管理会計の未整備により、デューデリジェンス(資産査定)の結果、想定外の簿外債務や税務リスクが判明することが少なくない。
- 経営スタイルの衝突: ベトナム企業はトップダウンで即断即決する傾向が強く、日本の合議制(稟議システム)による遅い意思決定にフラストレーションを感じることが多い。
日本企業への3つの提言:
- 多角的なデューデリジェンスの実施: 財務・法務だけでなく、人事、IT、そして「企業文化」の調査を重視すべきである。相手企業のミドルマネジメント層が、日本流の管理手法にどこまで適応できるかを見極めることがPMIの成否を分ける。
- ベトナム市場調査の継続的アップデート: ベトナムの法規制や消費トレンドは変化が激しい。一度の調査で満足せず、常に最新の情報をアップデートし、柔軟に戦略を修正する姿勢が必要である。
- 信頼関係の構築: ベトナムビジネスにおいて、人間関係は契約書以上に重要になることがある。創業者のビジョンを尊重し、時間をかけて信頼を勝ち取ることが、最終的なディールを有利に進める鍵となる。
まとめ
コクヨによるティエンロンの子会社化は、日越経済協力の新たなフェーズを告げる鐘の音である。ベトナムの経済成長率は依然としてASEANトップクラスを維持しており、2025年には一人当たりGDPが4,500ドルから5,000ドルに達すると予測されている。これは消費市場が爆発的に拡大する「転換点」である。
日本企業にとって、ベトナムはもはや「遠い将来の投資先」ではなく、「今、経営資源を集中すべき最優先市場」である。戦略的なM&Aを通じて現地の強固なプラットフォームを手に入れることは、不確実な世界経済において持続可能な成長を実現するための、最も賢明な投資判断となるだろう。
しかし、成功への道には専門的な知見と経験が必要である。
ONE-VALUE株式会社(ONE-VALUE Inc.)について
ONE-VALUEは、1,000社以上の日本企業のベトナム進出を支援してきた総合コンサルティングファームです。
- 市場調査・戦略立案: 深い市場理解に基づくロードマップ策定。
- M&Aアドバイザリー: ターゲット選定からPMIまでの一貫支援。
- 販売・マーケティング代行: 代理店開拓から実務運用まで。
- 撤退支援(事業整理・清算支援): 事業整理、法人解散、清算手続などのサポート。
- エキスパート・プラットフォーム: 32分野5,000名以上の専門家への直接アクセス。詳細については、こちらよりご確認いただけます。
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