はじめに
ベトナム炭素市場は、政策形成から実際の運用へと移行する段階に入っている。2026年には、温室効果ガス排出枠の割当、国家登録システム、国内炭素取引所、国際的なカーボンクレジット移転制度など、市場を構成する主要な仕組みが相次いで整備された。2026年2月9日付決定263/QĐ-TTg号では、2025~2026年の試行期間における温室効果ガス排出枠の総量が承認され、政令29/2026/NĐ-CP号では国内炭素取引所に関する登録、取引、決済などの枠組みが定められた。
日系企業にとって、この変化は環境規制への対応にとどまらない。排出量を測定・登録し、排出枠やカーボンクレジットを取引する制度が具体化することで、省エネ技術、排出削減ソリューション、排出量の測定・データ管理、カーボンクレジット創出プロジェクトなどの事業機会が生まれる可能性がある。排出削減への対応を求められるベトナム企業は、技術や運用ノウハウを持つ日系企業にとって協業候補にもなり得る。
一方、制度整備が進んでいることと、具体的な商業需要が存在することは分けて考える必要がある。企業ごとの参加可能性、カーボンクレジットの要件、取引条件、個別プロジェクトの採算性は、それぞれ確認が必要である。本稿では、2026年のベトナム炭素市場の仕組みを整理し、排出枠とカーボンクレジットの違い、主要な法制度改正、日系企業が注視すべき事業機会を解説する。
ベトナム炭素市場は実運用段階へ
ベトナムの炭素市場に関する法的枠組みは以前から整備されてきたが、2026年には市場を構成する各制度の運用準備が具体化した。2026年1月19日に公布・施行された政令29/2026/NĐ-CP号は、国内炭素取引所について、温室効果ガス排出枠と取引可能なカーボンクレジットの登録、国内コードの付与、所有権移転、振替・保管、取引、決済までを規定している。
規定上、排出枠とカーボンクレジットは、振替・保管や取引を行う前に国家登録システムへ登録する必要がある。まず登録によって排出枠やクレジットを認識し、その後に振替・保管、取引、決済へ移る仕組みである。企業にとっては、自社が保有する排出枠やクレジットが制度上認められ、取引要件を満たしているかどうかが商業価値を判断する前提となる。
市場インフラでは、ベトナム証券取引所(VNX)、ハノイ証券取引所(HNX)、ベトナム証券保管・清算総公社(VSDC)が役割を担う。HNXが炭素取引システム、VSDCが振替・保管・決済システムを担当し、VNXも国内炭素市場の運営に関与する。2026年には、関係機関の間で国内炭素取引所の運営に向けた連携も進められた。
これと並行し、2026年2月9日付決定263/QĐ-TTg号では、2025~2026年の試行期間における温室効果ガス排出枠の総量が承認された。排出管理制度は、基本原則を定める段階から、実際に排出枠を割り当てる段階へと進んでいる。
対象企業にとって、排出量は単なる環境データではなく、制度上管理すべき数値となる。排出データの精度、測定方法、生産活動における排出削減能力の重要性は今後一段と増すとみられる。
排出枠とカーボンクレジットの違い
ベトナム炭素市場を理解する上で、排出枠とカーボンクレジットの違いは基本的な論点である。両者はいずれも取引対象になり得るが、発生・付与される仕組みが異なる。
排出枠とは、国の制度の下で、一定期間に事業者が排出することを認められた温室効果ガス量である。割当対象となる企業に直接ひも付き、企業が事業活動の中で管理すべき排出上限を示す。
一方、カーボンクレジットは、所定のプログラム、プロジェクト、方法論に基づいて確認された温室効果ガスの排出削減や吸収の成果から生じる。プロジェクトによる排出削減量が認められ、対象制度の要件を満たせば、カーボンクレジットとして認定・登録される可能性がある。
この違いは、日系企業の事業機会を考える上でも重要である。排出枠の対象事業者にソリューションを提供する場合は、エネルギー使用量の削減、設備効率の改善、排出量測定、データ管理などが中心となる。一方、カーボンプロジェクトに参画する場合は、検証可能で、対象制度の下で認められる排出削減成果を生み出せるかが重要となる。
両者を区別することで、事業機会を見誤るリスクも抑えられる。排出削減ニーズを持つ企業が直ちにカーボンクレジットを購入するとは限らない。反対に、排出削減成果を生み出したプロジェクトであっても、登録、方法論、確認などの要件を満たさなければ、取引可能なクレジットにはならない。

出典: VnEconomy
2025~2026年の炭素市場法制度の主な変更
ベトナムの炭素市場に関する法制度は、2025~2026年に相次いで補完された。
2025年6月9日に公布され、同年8月1日に施行された政令119/2025/NĐ-CP号は、温室効果ガス排出削減およびオゾン層保護に関する政令06/2022/NĐ-CP号を改正した。排出削減や炭素市場の発展に関する法的基盤を補完する規定である。
2026年1月19日には、国内炭素取引所に関する政令29/2026/NĐ-CP号が公布・施行された。登録、コード付与、所有権移転、振替・保管、取引、決済という一連のプロセスが具体化され、国内排出量取引制度の実務面を支える仕組みが整備された。
2026年4月1日には、温室効果ガス排出削減成果およびカーボンクレジットの国際移転に関する政令112/2026/NĐ-CP号が公布され、同年5月19日に施行された。同政令はパリ協定に基づく国際移転について規定し、第6条4項メカニズムに基づくプログラムやプロジェクト登録も対象としている。
さらに、2026年10月26日には政令396/2026/NĐ-CP号が公布された。同政令は、政令06/2022/NĐ-CP号およびその改正文書の一部をさらに改正・補足するもので、国家登録システムのアカウント付与権限を参加主体ごとに明確化する規定などを含む。本稿作成時点では施行前であり、施行日は2026年12月12日である。
こうした法令を時系列で見ると、排出削減義務、排出枠の割当、国家登録システム、国内取引所、国際移転制度という各要素が段階的に整備されている。日系企業にとって重要なのは、炭素取引所の開設だけを見るのではなく、自社が扱う排出枠やカーボンクレジットがどの制度に該当し、どの登録・取引条件が適用されるのかを確認することである。
ベトナム炭素市場で日経企業に生まれる4つの事業機会
排出削減プロジェクト
第一に、排出削減成果やカーボンクレジットの創出につながるプロジェクト開発である。日本企業が持つ環境技術、省エネ技術、運用管理の経験を生かし、ベトナム企業がエネルギー効率や排出量の改善を必要とする分野で協業する余地が考えられる。
省エネ・排出削減技術
第二に、省エネ技術と排出削減技術の提供である。排出枠の対象事業者にとって、設備投資の効果は運用コストの削減だけでなく、どの程度の排出削減を実現できるかという観点からも評価される可能性がある。ベトナム省エネ技術の市場を検討する日系企業にとって、炭素制度は新たな評価軸となり得る。
排出量の測定・管理
第三に、排出量の測定、報告、データ管理である。排出枠やカーボンクレジットを扱う市場では、信頼性のある排出データが不可欠となる。企業は自社の排出量、排出源、削減施策の効果を把握する必要があり、測定システム、データ管理、排出量モニタリング、排出枠管理を支援するソリューションには事業機会が生じる可能性がある。
ベトナム企業との協業
第四に、ベトナム企業との直接的な協業である。設備輸出だけでなく、技術移転、工場での試験導入、排出削減プロジェクトの共同開発、排出削減ロードマップの策定なども選択肢となる。適切な事業モデルは、企業ごとのニーズと、導入するソリューションの投資回収可能性によって異なる。
政策整備そのものが商業市場の成立を保証するわけではない。購買決定者、排出削減予算、技術選定基準、投資回収期間、業界ごとの炭素対応の優先順位まで確認した上で、市場性を評価する必要がある。
投資前に市場で確認すべき情報
法令を確認すれば、ベトナム炭素市場の仕組みや運営原則は把握できる。一方、個々のベトナム企業がどこまで対応を進めているかは、公開情報だけでは十分に分からない。
排出管理対象企業の中でも、すでに測定システムや削減計画を整備している企業と、基礎的な排出データを整え始めた企業では、必要とするサービスが大きく異なる。技術導入、コンサルティング、カーボンプロジェクト共同開発などへの需要も同一ではない。
市場参入や投資を検討する日系企業は、実際に排出削減ニーズを持つ企業、投資予算、ソリューション選定基準、収益化の可能性、外国企業との協業意向を事前に確認することが求められる。
こうした情報を補完する手段の一つが、業界専門家、大規模排出事業者、カーボンプロジェクト開発事業者、ソリューション提供企業へのヒアリングである。ベトナム炭素市場に関する専門家インタビューを通じて、公開資料では把握しにくい実需、意思決定構造、商業条件を確認できる。
変化の速い炭素市場では、「制度が整ったか」と「事業として成立する需要があるか」を別々に検証することが重要である。投資判断には、法制度と市場実態の両面からの確認が欠かせない。
結論
2026年は、ベトナム炭素市場が制度設計から実運用へ移る重要な時期となっている。2025~2026年の試行排出枠が承認され、国内炭素取引所、国際的なカーボンクレジット移転、国家登録システムなど、市場運営に必要な制度が順次具体化している。
日系企業にとっては、排出削減プロジェクト、省エネ・排出削減技術、排出量の測定・管理、ベトナム企業との協業という四つの分野に事業機会が考えられる。ただし、各分野で実際に事業化できるかは、企業の実需、法的条件、投資回収性、収益モデルを確認した上で判断する必要がある。
ONE-VALUEは、日系企業向けにベトナム市場調査、事業戦略策定、投資支援、ベトナム事業拡大支援を提供するコンサルティング会社である。炭素分野についても、対象企業の抽出、排出削減ニーズの調査、投資機会の評価、市場参入方針の策定などを支援している。
公開情報だけでは把握しにくい企業の実需や意思決定については、ONE-VALUE Expert Connectを通じて、現地専門家への委託インタビューや直接ヒアリングを行うことも可能である。技術ニーズ、投資意欲、意思決定構造、ベトナム企業との協業可能性を事前に確認することで、具体的な市場参入や投資判断につなげやすくなる。
参考資料:

