ベトナム進出をめぐる議論は、たいてい「行くか、行かないか」で語られる。だが実務の現場で勝敗を分けているのは、その手前でも先でもなく、「いつ、どの形で判断するか」である。
2026年9月8日、横浜。公益財団法人神奈川産業振興センターが主催した「令和8年度ベトナムビジネス・人材セミナー」(共催:神奈川県、ジェトロ横浜/協力:横浜銀行、プロネクサス、プロネクサスYBベトナム)で登壇したONE-VALUE株式会社代表取締役CEOのフィ・ホアは、20分の講演の冒頭から結論を置いた。

日本企業がまず捨てるべきものは、慎重さでも予算でもない。「日本企業が教える側に回る」という前提そのものである、と。
本稿は、同講演の内容をもとに、ベトナムの物流・IT市場で何が起きているのか、そして日本企業がどこでつまずいているのかを整理する評論である。すでにベトナムに関わっている方ほど、心当たりのある話が多いはずだ。
- 5年待った会社の話
- 「ベトナムは有望だ」という言葉は、もう何も言っていない
- 物流:空いているのは「倉庫」ではなく、北部のコールド倉庫である
- IT:日本企業が「教える側」に回れる領域は、ほとんど残っていない
- 地図も、交渉相手も変わった──34省市体制という前提条件
- B to Cでは勝てない、B to Bなら勝てる
- 委託・代理店ではなく、合弁・出資・買収
- 交渉と実務でつまずく3つのポイント
- 貴社はいくつ当てはまるか
- 為替:判断を先送りするほど不利になる(弊社代表の見解)
- 「日本が上、ベトナムが下」は、もう10年前の地図である
- それで、何から手をつけるか
- ベトナムの最新動向を踏まえたM&A・投資アドバイザリーは、ONE-VALUEへ
5年待った会社の話
まず、講演で語った事例から入りたい。
ある日本企業が、5年前にベトナムの製造メーカーの買収を検討した。相手企業の評価額を見て「高い」と判断し、見送った。社内では妥当な判断とされたはずだ。価格が下がるのを待つ、あるいは案件の質が上がるのを待つ。よくある話である。
5年後、同じ日本企業が同じ企業の買収に動いた。相手が提示した価格は、ドン建てでは5年前とほぼ同じだった。にもかかわらず、円建てで支払うコストは膨らんでいた。為替が動いていたからである。
待った5年で、企業価値が下がったわけではない。日本企業の購買力が下がったのだ。 これは値付けの失敗ではなく、時間軸の設計の失敗である。
なぜこういうことが起きるのか。答えは為替にあるようで、実はその手前にある。市場の前提が変わっていることに気づかないまま、5年前の地図で判断しているからだ。
「ベトナムは有望だ」という言葉は、もう何も言っていない
投資判断の解像度の話をしたい。
「ベトナムは伸びている」という認識は、この記事を読んでいる方なら既にお持ちだろう。問題は、その先である。ホアが指摘したのは、国全体としてのポテンシャルなど存在しないということだ。ポテンシャルは地域ごとに、業種ごとに、まったく異なる。
冷凍冷蔵倉庫であれば、南部はすでに投資が進み、相対的に妙味は小さい。むしろ北部に空きがある。工業団地や物流不動産も、省の再編とインフラ投資の優先順位によって、数年前とは評価が変わっている。全国平均の成長率や人口動態を根拠に投資を決めれば、平均的な結果すら得られない。
日本企業が問うべきは「どこが伸びているか」ではなく、「どこがまだ埋まっていないか」だ。以下、物流とITでその空白を具体的に見ていく。
物流:空いているのは「倉庫」ではなく、北部のコールド倉庫である
ベトナムの物流市場は拡大を続けている。フィ・ホアは講演で、年平均成長率は10%近いとの見方を示した(弊社代表の見解)。民間調査会社の推計でも、2025年時点の貨物・物流市場規模は500億米ドルを超え、今後も年率6〜7%前後の成長が見込まれている。数字の幅はあるが、方向は一致している。
成長の要因は大きく三つ。第一に、海外からベトナムへ入る貨物量の増加。第二に、国内消費の拡大にともなう国内貨物量の増加。第三に、EC(電子商取引)の急拡大である。とりわけ三つ目の変化は大きい。コロナ禍を経て、ベトナムの消費者は生鮮品でも野菜でも、タピオカミルクティー一杯でもオンラインで買うようになった。EC物流という需要カテゴリーが、わずか数年で常態になったのである。
その結果、物流倉庫のニーズは高まっている。だが日本企業にとっての機会は「倉庫全般」ではない。常温倉庫にはすでに相当量の投資が入り、日系企業も相当数が進出済みだ。 空いているのは冷凍冷蔵倉庫、とりわけ北部である。
ベトナムの冷凍冷蔵倉庫は、歴史的に南部へ偏在してきた。メコンデルタを中心とする水産加工の集積地であり、輸出向けの保管需要が先に存在したからである。エビ・魚を中心に世界有数の水産輸出国であるベトナムでは(弊社代表の見解)、冷凍果物や冷凍野菜の需要も伸びている。しかし北部は、その経緯の外側に置かれてきた。
そして、倉庫を建てるだけでは足りない。ハノイ市内、ホーチミン市内であれば、生鮮品の配送品質はおおむね保たれる。だが市域を一歩出ると状況は変わる。地方へ運ばれるあいだに肉が傷み、アイスクリームの品質が落ちる。温度が切れるのだ。 コールドチェーンの未整備は、ビジネス機会であると同時に社会課題でもある。そして社会課題であるがゆえに、政策的な追い風も受けやすい。
ただし、冷蔵保管能力は今後数年で大幅に拡張される見通しが複数の調査で示され、新規プロジェクトも計画されている。裏を返せば、参入の窓は永遠には開いていない。空白は、埋まるから空白なのである。
▶ 北部のどこに、いま何が足りていないのか
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IT:日本企業が「教える側」に回れる領域は、ほとんど残っていない
ベトナムのIT産業は、米国・日本向けの受託開発・オフショア開発を軸に成長してきた。日本に進出して成功しているベトナム系IT企業も複数ある。人材が豊富で、技術水準も高い。ここまでは、多くの日本企業が理解している。
見落とされがちなのは、ベトナム国内のデジタル化そのものが速いことだ。現金はほとんど使われず、デジタルバンクが日常になっている。空港のチェックイン、チケット購入、映画館の予約まで、政府が管理するIDで完結する。法人・個人の納税状況が当局側でリアルタイムに把握され、納税が遅延している経営者が出国できないといったことも実際に起きている。自分のIDから、自分がどの会社のオーナーで、その会社の納税状況がどうなっているかを確認できる。この統合の度合いは、日本より進んでいる。
日本がマイナンバーカードの利用範囲を広げている最中に、ベトナムはその先を走っている。したがって、日本企業がベトナムのIT市場に自社サービスを売り込んで勝てる余地は大きくない。
現実的な打ち手は二つしかない。若いIT人材を確保して自社の開発・設計に組み込むか、ベトナムのIT企業そのものを買収・出資によって取り込むかである。ただし前者を業務委託の積み増しで実現しようとすれば、得られるものは限られる。優秀な人材ほど、発注元の都合ではなく自社の成長機会で動くからだ。
加えて、生成AIの普及がもうひとつの逆転を生んでいる。日本企業の多くは経営層の高齢化がボトルネックとなり、AI導入が進んでいない。一方でベトナムのIT企業は経営者も従業員も若く、AIによる生産性向上とコスト削減を淡々と進めている。「AIがオフショア開発の仕事を奪う」という日本側の予測に反して、ベトナムのIT企業は相対的にダメージを受けにくい位置にいる。 「安い外注先」という認識のまま交渉のテーブルに着けば、足元を見られるだけである。
地図も、交渉相手も変わった──34省市体制という前提条件
ここで、日本側の資料がしばしば古いまま放置されている論点に触れておきたい。行政区画である。
2025年7月1日、ベトナムは63あった省・市を34に再編した。県・区レベルの行政単位を廃し、省級と社級の二層制へ移行する大改革である。たとえば北部のニンビン省は、旧ニンビン省・旧ナムディン省・旧ハナム省が統合して誕生した。工業団地の候補地として日本企業になじみのあった旧ハナム省は、いまや大きな省の一部にすぎない。
この再編は単なる名称変更ではない。許認可の窓口、土地利用計画、インフラ投資の優先順位、そして交渉相手のポジションが動いた。 省の規模が大きくなれば、案件として扱われる投資の単位も大きくなる。数年前の資料を前提に「あの省の担当者に話を通しておけばよい」という段取りを描いていれば、最初の一歩で躓く。
ONE-VALUEは、この新生ニンビン省においても、不動産投資や倉庫・工業団地に関する案件の支援実績を持つ。日本企業が投資家、ベトナム企業がパートナーという構図である。地図が書き換わった土地で、誰に、どの順番で会うのか。そこにこそ実務の差が出る。
B to Cでは勝てない、B to Bなら勝てる
では、日本企業はどこで勝負すべきか。ホアの整理は割り切っている。
消費者向け(B to C)は、正面から行けば勝てない。ベトナム人の消費トレンドを理解したうえで受け入れられる商品・サービスをつくることは容易ではなく、多くの日本企業が苦戦している。自前でブランドを育てる時間を考えれば、すでに顧客と流通を持つベトナム企業を買収するほうが現実的だ。 B to Cにおいて、M&Aは選択肢の一つではなく、ほぼ唯一の入口である。
一方、事業者向け(B to B)では日本企業の強みが生きる。不動産、倉庫、素材、化学品、エネルギーといった領域では、これまでも日本企業が事業を伸ばしてきた。物流もITも、本質的にはB to Bの世界である。
ただし条件がある。エネルギーや総合物流インフラでは、投資環境の確認、ライセンス申請、不動産のクリアランス、土地の取得など、複雑な手続きが必ず伴う。ここは現地企業の力がなければ進まない。 そして、その「力を借りる」形式が次の論点になる。
委託・代理店ではなく、合弁・出資・買収
現地企業との組み方について、ホアの見解ははっきりしている。業務委託や代理店契約ではなく、合弁・出資・買収といった、企業同士が中長期でコミットする関係を選ぶべきだ。
これは倫理の話ではなく、インセンティブ設計の話である。委託先にとって、日本企業の案件は数ある取引の一つにすぎない。資本を入れて初めて、相手の損得が自社の損得と重なる。手続きの煩雑さ、参入障壁の高さ、そして1億人規模の市場のポテンシャルを最大限に生かすことを考えれば、片方が発注し片方が受注する関係では足りない。
そして、日本企業がその関係において差し出せる最大の武器は、しばしば誤解されている。技術ではない。低金利で調達できる資本である。
支援の現場では、こういう場面がある。日本側が自社の技術を現地の業界大手に売り込もうとし、数年にわたって検討を重ねた末に、「売れるものがない」という結論に行き着く。相手がすでに強く、外から技術を買う必要がなかったのである。日本企業だから強い、という前提は、もはや成り立たない。
ただし、同じ相手であっても、共に資金を出して事業を組み立てる資本提携の形であれば、話が成立する余地はある。売るのではなく、組む。 この転換ができるかどうかが分かれ目になる。
▶ 委託で進めるか、資本を入れるか
組む形式の選択は、業種と相手企業によって最適解が変わります。ONE-VALUEは合弁・出資・買収それぞれのスキーム設計を支援しています。判断に迷われている方は、無料相談をご利用ください。
交渉と実務でつまずく3つのポイント
ここからは実務の話である。日越のディールは、驚くほど同じ場所で壊れる。
一、相手のトップが出てこない
ベトナム企業の意思決定はトップダウンである。マネージャークラスと何年話しても、話は前に進まない。日本企業側はボトムアップで社内合意を積み上げる文化だから、相手の担当者と協議が続いていることを「進捗」と誤認する。だがベトナム側では、トップが関心を持たない案件の情報は、そもそも上がっていかない。
実証実験の打診ひとつ、売り込みひとつでも、トップに届かないまま何年も溶かす例がある。最初に確認すべきは資料の完成度ではなく、相手のトップが出てくる座組みをつくれているかどうかだ。
二、少数株主を見ていない
買収時の株主構成である。ベトナム企業には複数の株主がいることが珍しくない。日本企業は主要株主とだけ話を進めてしまいがちだが、買収の途中で少数株主が反対して止まる例がある。
これは相手の不誠実さではなく、こちらの設計ミスである。誰が反対しうるか、どの順番で合意を取り付けるか、いつ誰に情報を開示するか。交渉と段取りの設計そのものが成否を決める領域であり、経験のあるアドバイザーを起用すべき典型的な場面でもある。
三、デューデリジェンスで市場しか見ていない
市場性だけを見て判断しない、ということだ。相手企業の実現能力、品質担保の体制、組織、そして人材。とくに人材が事業の中身そのものであるIT企業のような場合は、人材の見極めが企業価値の評価そのものになる。
加えて、事業計画の妥当性の検証である。ベトナム企業は、日本企業と比べると数字や状況をやや大きく語る傾向がある。どちらが正しいという話ではなく、前提が違うだけだ。だがその差を織り込まずに数字を受け取れば、買った後で合わなくなる。面談や交渉は、この非対称性を前提に設計する必要がある。
貴社はいくつ当てはまるか
ここまでの論点を、確認できる形に置き換えておきたい。ベトナムで事業を検討中、あるいは既に進めている企業であれば、以下を自社に当ててみていただきたい。
- 検討している地域・業種の「空白」を、全国平均ではなく個別に把握しているか
- 参照している市場資料・行政情報は、2025年7月の34省市再編を反映しているか
- 現地パートナーとの関係は、業務委託・代理店の枠にとどまっていないか
- 交渉の場に、相手企業のトップは出てきているか
- 相手企業の株主構成を、少数株主まで把握しているか
- デューデリジェンスで、市場性だけでなく人材と実行能力を見ているか
- 「もう少し様子を見る」という判断のコストを、為替を含めて試算したことがあるか
三つ以上に引っかかるなら、それは情報不足ではなく、進め方の設計の問題である可能性が高い。
▶ 当てはまった項目から、具体的に話せます
どこが原因で、何から直すべきか。ONE-VALUEの無料相談では、貴社の現在の進め方に沿って論点を整理します。
為替:判断を先送りするほど不利になる(弊社代表の見解)
最後に、投資のタイミングについて。以下は弊社代表個人の見立てであり、為替の予測を保証するものではない。その前提でお読みいただきたい。
ベトナムドンに対する日本円は、今後10年も比較的円安の傾向が続くと考えている。ベトナム経済は強く、購買力は上がっているためだ。円の価値が下がっていく前提に立つなら、投資判断は早いほうが有利である。
冒頭の事例に戻る。5年前に高いと判断して見送り、5年後に同じ価格を提示され、結果としてダメージを受けたのは日本企業のほうだった。
問題は、日本企業の意思決定プロセスがこの論理と相性が悪いことだ。稟議は慎重さを評価する。見送りは失敗としてカウントされない。買って失敗すれば責任を問われるが、買わずに機会を逃しても誰も咎められない。この非対称性が、為替と成長率の複利に負け続ける構造をつくっている。
「もう少し様子を見る」は、ベトナム市場においては慎重さではない。為替と成長の両方に対して支払う、目に見えない利息に近い。
「日本が上、ベトナムが下」は、もう10年前の地図である
講演の締めくくりで、ホアは同じ趣旨を繰り返した。日本企業が上でベトナム企業が下、日本企業が進んでいてベトナム企業が遅れている——この見方は、もう10年前のものだ、と。
現地の発展速度は、日本側の認識更新の速度を上回っている。いま重要なのは、教える・売り込むという発想ではなく、1億人規模の市場を一緒に攻めるパートナーを見つけることである。
それで、何から手をつけるか
ここまで読んで、次のように感じた方は少なくないはずだ。
理屈は分かった。では、どの地域で、どの企業と、どの順番で組めばいいのか。北部のコールドチェーンに入るとして、土地はどう押さえるのか。IT企業を買うとして、人材の質はどう見極めるのか。そもそも、ベトナム企業のトップにどうやって会うのか。
その問いに対する答えは、市場レポートには載っていない。案件ごとに、業種ごとに、相手ごとに違うからである。
ベトナムの最新動向を踏まえたM&A・投資アドバイザリーは、ONE-VALUEへ
ONE-VALUEは、ベトナム市場調査、パートナー探索、M&Aアドバイザリー、進出・撤退支援を一貫して提供しています。直近では、業務全体の半分以上をM&A・投資関連が占めています。
34省市体制へ再編された後の各省・市との関係構築、業界大手の経営トップとの面談調整、買収交渉の設計と株主対応、人材と実行能力にまで踏み込んだデューデリジェンス——いずれも、公開情報の外側にある領域です。
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